YMO世代の気持ち -ノベル館-

YMO世代の気持ちのサブブログです。

誤読

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天声人誤 第29回 六月二日

六月二日に、何をしていたか思い出せるだろうか。 俺は思い出せなかったので、手帳を見た。市民プールの取材である。改修が終わって、その日から開いた。屋根のない二十五メートルで、平日の昼だから人はまばらだった。 晴れていた。傘は持っていない。 あの…

天声人誤 第28回 いっせいに

昨日の夜、原稿が書けなくなった。 正確に言うと、書けたのだが、出せなかった。 * いつもの通り、締切前の原稿を校正にかけようとした。 前にも書いたが、俺は誤字を拾ってもらうのにAIを使っている。中身は自分で書いている。直してもらうのは、てにをは…

天声人誤 第27回 百九十八年

番付が発表された。 九月十三日が初日の秋場所である。編集部で新聞を広げていたら、見出しに数字が出ていた。 京都府出身の新三役は、百九十八年ぶり。 二十一歳の藤ノ川という力士が、新関脇に昇進したという。 百九十八年。 俺は電卓を出した。二〇二六か…

天声人誤 第26回 訂正

「中村くん、苦情が来てる」 編集長がそう言ったとき、俺はキーボードの上で手を止めた。止めてから、指がまだ置かれたままなのに気づいて、膝に下ろした。 「……はい」 「あとで話すから」 それだけ言って、編集長は電話を取りに行った。 * 苦情が来ている…

天声人誤 第25回 枕詞

新潟で、祭りの事故があった。 八月二十四日の午後八時十五分過ぎ。阿賀野市中央町で、水原まつりの「ザ・灯籠来舞」の最中に、灯籠とアーケードの柱に挟まれる事故が起きた。 地元の男子高校生が亡くなった。十八歳だった。 ほかに二人が救急搬送されている…

天声人誤 第24回 三番目

四か所目は、峠道の三番目のカーブである。 場所の説明が難しい。峠の入口から数えて三番目、としか言いようがない。標識も、建物も、由来を示すものも何も無い。ただのカーブだ。ガードレールが少し古い。それだけである。 なぜ三番目だけなのかは、誰も知…

天声人誤 第23回 無反応

夜中に原稿を書いていて、腕を刺された。 ぴしゃりとやったが、逃げられた。刺されたところが赤く小さく盛り上がって、少しかゆい。かいた。一時間ほどで、何ごともなかったように引いた。 ……こんなものだったか、と思った。 * 子どものころは、こうではな…

天声人誤 第22回 印

締切明けの原稿を、AIに校正させた。 誤字を拾ってもらっただけである。中身は変えていない。「てにをは」が二か所と、同じ語尾が三回続いていたのを直された。ありがたい話だと思って、そのまま入稿した。 その晩、ニュースを見て、手が止まった。 * Anthr…

天声人誤 第21回 宮ノ下

その取材は、怪談とは何の関係もなかった。 市の地域交通の話である。飽留野の路線バスは、市街を外れると一時間に一本か二本しかない。それがさらに減る。来年度から、旧道を通る系統の便数が半分になる。沿線には高齢の方が多い。タウン誌としては、書かな…

天声人誤 第20回 マスク

メロンで国際問題になっている。 新聞を三紙めくって、三紙とも載っていたので、これは本当に問題になっているのだと思った。 * 報じられているのは、こういうことである。 オーストラリアのアルバニージー首相が七月、女性のお笑いタレントの動画番組に出…

天声人誤 第19回 前の日

今日は山の日である。 飽留野は山に囲まれている。市街を外れて十五分も走れば峠の入口で、そこから先はどこまでも山が続く。東京都だが、山のほうがずっと多い。 その山の日について、俺は何も知らなかった。祝日の名前を知っているだけである。恥ずかしな…

天声人誤 第18回 拾得

駅前で財布を拾った。 黒い二つ折りで、券売機の下に落ちていた。中を検めるのは気が引けたが、身元が分かるものがあるかもしれない。開けたら、紙幣が何枚か入っていた。数えていない。数えたら負けだと思った。 交番に届けた。 * 書類を書いていると、若…

天声人誤 第17回 一秒

商店街の景気について、市内の信用金庫の支店長に話を聞いた。 応接室に入ってきたのは、思ったより若い人だった。名刺には支店長とある。声も張りがあって、姿勢がいい。よくこの歳で支店長を任されているものだ、と俺は思った。 三十分ほど数字の話を聞い…

天声人誤 第16回 行き先

二か所目は、沢井原のドライブイン跡にした。 国道沿いに、看板だけが残っている。建物は窓が抜け、駐車場の白線は消えかけ、自販機の跡地に四角い日焼けが残っている。廃業したのは十年以上前だと聞いた。 地元では「出る」ということになっている。何が出…

天声人誤 第15回 ぶっつけ

今日から、八王子まつりである。 ウェブ版に短い紹介を載せた。飽留野からは電車で三十分ほど、取材圏の内である。ただし俺は、一度も見たことがない。見ていないものの紹介を書いたことになる。 そのぶん、資料はよく読んだ。読んでいて手が止まった話が、…

天声人誤 第14回 六時半

毎年この時期に、うちのウェブ版には「市内のラジオ体操会場一覧」が載る。 誰が読むのかと思うが、これが案外読まれる。町内会から会場と日程が上がってきて、俺がそれを表に組み直す。十年やっている、夏の定番である。 今年、表を作りながら、去年のファ…

天声人誤 第13回 三十五センチ

熊本で、大きな地震があった。 七月二十八日の午後四時二十七分。マグニチュードは七・一、震源の深さは十六キロ。熊本県の宇城市と氷川町で、震度七を観測している。国内で震度七が出たのは、二〇二四年の元日の能登以来である。 いま分かっているだけで、…

天声人誤 第12回 乗り換え

編集部には、新聞が三紙来る。 テレビ欄から読むのはいつものことだが、その日はめくった手が経済面で止まった。WOWOWの決算が出ていた。加入者が減っている、という話である。 俺は、少し心配になった。 配信に振られ続けている男が、放送の心配をしている…

天声人誤 第11回 振られる

面白そうなアニメが始まるらしい。 編集部で、デザイナーがそう言っていた。原作は読んだことがある。悪くない話だった。あれが動くのなら見たい、と素直に思った。 「どこでやるの」 俺がそう聞いたら、返ってきたのは局名ではなかった。 「ネットフリック…

天声人誤 第10回 縁

一ドル百六十三円になった日のことを、書いておく。 七月二十一日、ニューヨークの市場で一時、一ドル百六十三円二十四銭をつけた。約三十九年七か月ぶりの水準だという。中東情勢が急速に緊迫し、いわゆる「有事のドル買い」が優勢になった結果らしい。 www…

天声人誤 第9回 白黒

スーパーで、実物を見た。 棚に白黒の袋が並んでいる。ポテトチップスである。うすしお味だった。 ……思っていたのと、違った。 もっと暗いものを想像していた。喪服のような、遺影の額縁のような。実際に棚にあったのは、白地に黒で品名が刷ってあるだけの、…

天声人誤 第8回 圏外

肩をぶつけられた。 立川の駅で、人の流れが交差するあたりである。避けたつもりが避けきれず、右の肩に硬いものが当たった。相手は五十がらみの男で、振り向きもせずに行ってしまった。 俺は立ち止まって、三秒ほど考えた。いまのは、事故か、業務か。 * …

天声人誤 第7回 不動

「中村くん、夏の特集だけどね」 この人が企画書を持ってくるときは、たいてい俺の八月が決まっている。 「心霊スポット、四回でやって。週一」 「はい」 「行くのは君ね」 「はい」 断る理由が思いつかなかった。飽留野には山があり、旧道があり、廃道があ…

天声人誤 第6回 天井

「もはやシーリングと呼ぶべきものはありません」 七月三十日、片山財務大臣が記者会見でそう言った。来年度の予算の、概算要求基準についての発言である。 www.mof.go.jp シーリングというのは、各省庁が予算を要求するときの上限のことだ。ここまでにして…

天声人誤 第5回 想定外

その話を最初に見たとき、俺は完全に信じた。 食料品の消費税をゼロにする案があった。それに反対したのはレジのメーカーだ、という話である。社名まで並んでいた。三社だか四社だか、誰でも知っている名前だった。 「なんでやねん」 畳の上で声が出た。庶民…

天声人誤 第4回 うちがやることか

「中村くん、それ、うちでやることかな」 編集長がそう言ったので、俺は手を止めた。 * その朝、俺は企画書を一枚書いていた。『みいちゃんと山田さん』という漫画のアニメ化に、批判が集まっている件である。 七月二十六日に発表され、放送は二〇二七年。…

天声人誤 第3回 親衛動画

「うちはね、中村さん、稟議書を東京に送るんですよ」 飽留野の外れにある工場の応接室で、専務がそう言った。創業六十年の菓子屋である。地元では名の知れた店で、数年前に都心の大きな会社に買われた。いまはその会社の、何番目かの子会社ということになっ…

天声人誤 第2回 呼ばれた気がした

締切が明けた夜は、何もする気が起きないのに、なぜかニュースだけは開く。 風呂も入らず、畳の上に寝転がったまま、親指で世の中をめくっていく。褒められた習慣ではない。ただ、一日の終わりに世界の様子を確認しておかないと、自分がいまどのあたりにいる…

天声人誤 第1回 はじめに、誤っておく

午前六時の飽留野は、まだ誰にも誤解されていない。 山から下りてくる空気は冷たく、国道はまだ空いている。ヘルメットを被ると、世界から音が半分持っていかれる。残った半分で物事を判断することになるのだが、俺の場合、その半分がだいたい間違っている。…