
Photo by Aperture Vintage (Unsplash)
うちは、駅前の写真屋だ。もうすぐ四十年になる。
現像の注文は、この十年でずいぶん減った。いまどきの客は、スマホの中に何千枚も写真を持っていて、プリントするのは年賀状と、履歴書と、あとは誰かが死んだときの遺影くらいだ。
だから、フィルムを持ってくる客の顔は、だいたい覚えてしまう。
七月の頭に来たあの学生は、初めての顔だった。
「これ、現像できますか」
カメラごと、カウンターに置いた。ミノルタのSR-T101。懐かしい機種だ。俺が若いころは、店の棚にずらっと並んでいた。
「中に、フィルムが入ったままなんです。買ったときから」
買ったときから、ときた。
リサイクルショップで買ったのだと言う。それで中身が気になって、持ってきた、と。素直な物言いだった。素直すぎて、こっちが少し心配になるくらいだった。
カメラの底蓋を開けて、フィルムを取り出す。パトローネの錆び方と、巻きの固さで、だいたいの年数はわかる。これは、古い。十年やそこらじゃない。
「36枚撮りですね。何枚残ってるかは、現像してみないと」
「古くても大丈夫ですか」
「フィルム次第ですが、たぶん出てきますよ。一週間ほどいただきます」
学生は、頭を下げて、帰っていった。
こういうフィルムは、たまに来る。
遺品整理で出てきた、とか。実家の押し入れの、引き出しの奥から、とか。持ってくる人間は、みんな少し、申し訳なさそうな顔をしている。他人の時間を、勝手に開けていいものか、迷った顔だ。
迷うくらいなら、現像したほうがいい。俺はそう思っている。
写真というのは、撮った時点では、まだ半分しかできていない。誰かが見て、はじめて残りの半分ができる。撮ったまま誰にも見られていない写真は、ずっと宙ぶらりんのまま、暗闇で待っている。
現像液の中で像が浮かんでくる瞬間は、四十年やっていても、少しだけ息を止める。
その夜、浮かんできたのは、夏だった。
海。強い光。白く飛びそうな砂浜。
そして、若い女性。
二十歳くらいだろう。浜辺で笑い、坂道で笑い、古い喫茶店の窓際で、笑っていた。
カメラ目線じゃない。カメラのすこし横——構えている人間の顔を見て、笑っている。ああいう顔は、撮ろうと思って撮れるものじゃない。撮るほうと撮られるほうのあいだに、あるものがないと、写らない。
12枚まで、そうだった。
13枚目で、手が止まった。
笑っていなかった。
遠くを見ていた。何かを、見送るような顔で。
この仕事は、他人の夏を、本人より先に見る仕事だ。
先に見て、何も言わない。それも仕事のうちだ。プリントを封筒に入れて、口を閉じて、それで終わりにする。四十年、そうやってきた。
でも、あの13枚目は、家に帰ってからも、頭のどこかに残っていた。
12枚笑って、1枚だけ、笑っていない。
二十年前の夏、どこかの海辺の町で、何があったのか。
知る筋合いは、俺にはない。
一週間後、学生が取りに来た。
「13枚でした。保存状態はまあまあでしたよ」
学生は封筒を受け取って、代金を払って、店を出ていった。ガラス越しに、公園のほうへ歩いていくのが見えた。ベンチに座って、封筒を開けるのも、見えた。
一枚ずつめくっていた手が、最後の一枚で、止まったのも。
長いこと、止まっていたのも。
ああいう顔をした客のことは、忘れられない。
あの13枚は、うちの現像液じゃ、最後まで現像しきれなかったんだろう。写っているものの、もっと奥に、まだ像を結んでいない何かがある。
それを現像するのは、たぶん、薬品じゃない。
あの学生の、これからの夏だ。
(了)
連載小説『現像』
2026年7月10日(金)スタート。全13話・毎週金曜更新。
三千円で買ったフィルムカメラに、未現像のフィルムが入っていた。 現像したら、20年前の夏に撮られた、知らない女性の写真が13枚—— 撮影地は、ぜんぶ、自分の地元だった。
第1話「現像」は、7月10日(金)朝6時公開です。