
Photo by Bruce Barrow (Unsplash)
1. 着いたけど
着いたけど どこにいんの
健太からLINEが来たのは、昼過ぎだった。
「着いたけど」と言われても、こっちは何も聞いていなかった。 来るとも、行くとも、誰も決めていなかった。 俺は布団の上に座ったまま、画面をしばらく見ていた。
着いたって どこに
汐見駅 お前の地元じゃん さっき特急降りた
俺は、なにも言葉が出てこなかった。 健太は通話に切り替えてきた。
「いやお前、毎日散歩しか言わないし 写真がどうたらってずっと言ってるし 俺、見にきた」
「見にきたって」 「気になんじゃん普通」 「親には言ったの」 「ちゃんと夏休みっぽいことしてくる、って言ってきた」 「それ嘘じゃん」 「嘘じゃない。海の町、夏休みっぽいだろ」
そう言われると、たしかに、夏休みっぽくはあった。
電話の向こうで、駅のアナウンスが鳴っていた。 俺はTシャツに着替えながら、はいはい、と言った。 玄関で母とすれ違った。
「友達が来たから、夜、店の方で食べていい?」 「じゃがいも煮るから、人数言って」
母は、相変わらず、そっけなかった。 そっけないけど、煮物の人数だけは、ちゃんと聞いてきた。
2. 駅前
汐見駅のロータリーで、健太はリュックを背負って立っていた。
東京から来たやつ、というのは、駅前に立っていると一瞬でわかる。 持ち物の色味と、髪の整え方と、立ち方が、なんとなく違う。 健太も、まあ、そんな感じだった。 むしろ、一番東京っぽい立ち方をしていた。
「うわ、潮の匂いすごっ」 「夏じゃん。海じゃん。なんで一人でいるんだよ、お前」
俺の顔を見るなり、健太はそう言った。 反論できなかった。
「とりあえず、店で何か食わせてくれ。腹減った」
商店街の食堂に入った。 冷やし中華を二人前、頼んだ。 健太はカウンターに頬杖をついて、食堂のメニュー表を読みながら、
「あわび丼、いいな」 「予算の話を先にしてからにして」 「いいな、じゃなくて頼んでいいか聞いてんの」 「ダメ」
冷やし中華が来た。 健太は、ずるずると麺をすすりながら、言った。
「で、写真は」
俺は、リュックから封筒を出した。 ジップロックを開けて、健太に渡した。
健太は、しばらく一枚ずつ、めくっていった。 途中で、ぴたっと止まった。 最後の1枚のところで。
「これ」 「うん」 「やべえな」
それだけ言って、封筒に戻した。 健太の目が、いつもの軽い目じゃなかった。 俺はちょっと、健太を見直した。 たぶん、健太は健太なりに、ちゃんと見ていた。
3. 防波堤
夕方、健太を連れて防波堤に出た。
防波堤は、漁港の外れにある。 コンクリートの細い道がずっと沖に伸びていて、先の方に赤い小さな灯台がある。 日が傾いて、海の色が、青から橙にゆっくり変わるところだった。
俺は、ここに何度か夕を誘ったことがあった。 夕は、来たり、来なかったりした。
その日は、来た。 それと、もう一人、知らない女の子が、夕の横にいた。
ショートカットで、Tシャツに短パンで、サンダルで、缶チューハイを持っていた。
「夕、こっちが——」と言いかけたら、 その子は俺たちのほうを、興味津々で見ていた。
「ねえ、東京から来た子?」
俺じゃなくて、健太を指さして言った。
「うん、そう。野口健太」と健太は名乗った。 妙に、堂々としていた。
「森下あかり」と彼女は言った。 「夕の幼馴染。あんた、東京のどこ」
「中央線」 「いいな、私も早く出たい」 「じゃあ来れば?」 「は、行くわ」 「来てよ、案内する」 「うわ、そういうのすぐ言うやつ」
ふたりは、出会って三分で、もう三日くらい喋っているテンポになっていた。 俺と夕は、その横で、すこし置いて行かれていた。
夕が、小さい声で言った。
「あかりらしい」
俺は、笑いそうになった。 たしかに、あかりは、あかりらしかった。
4. 四人
四人で、防波堤の根元のところに座った。
健太とあかりが、そのままずっと喋っていた。 東京の家賃のこと、汐見の終電のこと、コンビニの数の差、海と山どっちが落ち着くか。 話題はころころ変わるのに、テンポだけがずっと噛み合っていた。
俺は、夕の横顔を、ときどきちらっと見ていた。 夕は海を見ていた。 ときどき、あかりたちのほうを見て、すこし口元をゆるめた。
健太が「いや、汐見、終電が早すぎて、もう逆にエモくない? 九時って」と言ったとき、夕が、ふっと、こちらを見た。 俺も見た。 目が、ほんの一瞬、合った。
夕は何も言わなかった。 でも、その目は、たぶん、「東京の人、すごいですね」と言っていた。 俺は声に出さずに、「ね」と、返した。
健太とあかりは、ぜんぜん、気づいていなかった。
俺は、夕に話すべきことがあった。
似ている、と思った、と。 お母さんに、似ている気がした、と。
でも、健太とあかりがあれだけ喋っていて、その隙間がなかった。 俺は、隙間を待った。 待ちながら、たぶん、心のどこかで、待つ口実にしていた。 言わなくていい理由を、外側に置いておきたかった。 そんな感じだった。
「蒼くんさ」と急にあかりが言った。 「写真の話、健太から聞いた」 「健太、お前」 「いいじゃん、隠すことでもないだろ」 「そうそう。汐見で撮られた20年前の写真でしょ」 「うん」 「なんかすごいね、それ」
あかりは、ふつうに、そう言った。 あんまり深く突っ込まなかった。 でも、ちらっと、夕のほうを見た。
夕は、海を見たままだった。
5. 隙間
健太とあかりは、そのうち、自分たちで先のほうの灯台まで歩いていった。
「お前らは座ってろ、俺ら散歩してくる」と健太が言った。 「散歩じゃないでしょ、ナンパでしょ」とあかりが言った。 「ナンパしてんのお前のほうじゃね」と健太が言った。 ふたりはそう言いながら、すたすた歩いていった。
防波堤に、俺と夕だけが残った。
——いまだ、と思った。
「片桐さん」
「はい」
俺は、何度も口を開きかけて、言葉を選び直した。 似ている、似ているような気がする、たぶん、それは、いや、もしかしたら、すみません変なこと言って。 ぜんぶの言葉が、頭の中で、絡まっていた。
そのうち、ぴゅうっ、と高い音が空に上がった。
ヒュ——、ドン。
最初の一発が、夜空に開いた。
「あ、花火」と夕が空を見上げた。
「花火、今日でしたっけ」 「忘れてました」
防波堤の先で、健太が「うっわ、間に合った!」と叫んでいた。 あかりが「ナイス、私たち」と笑っていた。
夕は空を見ていた。 俺はそのほうを見ていた。
ドン、ドン、と二発目、三発目が、続けて上がった。 夕の横顔が、淡い光に、すこしずつ、照らされた。
健太がやっと黙った隙に、俺は夕の横顔を見た。 花火が、始まっていた。
次回「花火」は2026年8月21日公開予定です。
📷 カメラの話
ロッコールレンズの話
蒼のカメラ、ミノルタ SR-T101には「ロッコール(ROKKOR)50mm F1.4」というレンズが付いていました。
これがちょっと、伝説的なレンズです。ミノルタが自社で設計・製造していた光学レンズで、写りの柔らかさと、ピントが合った部分の繊細さで、いまも熱狂的なファンがいます。中古市場ではボディよりレンズ目当てに買う人もいるほど。
20年前のあの夏、誰かがこのレンズで撮った13枚——フィルムの粒子だけじゃなくて、レンズの「人柄」みたいなものまで、写真には焼きついているのかもしれません。
レンズで写真の質感がここまで変わる、というのは、フィルムカメラを始めて初めて気づくことのひとつです。