YMO世代の気持ち -ノベル館-

YMO世代の気持ちのサブブログです。

第7話「花火」

海上の花火

Photo by Rino Adamo (Pexels)

1. 打ち上げ

ドン、ドン、ドン、と三発、続けて上がった。

それからすこし間があって、ヒュー——、と細い音が空をのぼっていって、開いた。 たぶん、あれが「あ、いま始まったんだ」と知らせる合図だ。

防波堤に、ぱらぱらと人が増えてきた。 近所のおじいさんが孫を連れてきて、「ほら、あれよ、あれ」と指をさしていた。 高校生のグループが、Tシャツの裾を握り合って、うわーうわーと笑っていた。 小さい子供が、缶ジュースをひっくり返して、お母さんに怒られていた。

夏だ、という感じが、急に町じゅうにひろがった。 さっきまで、世界はもっと静かだった気がした。

健太とあかりが、灯台のほうから戻ってきた。

「やべー、間に合ってよかった」 「ねえ、どっちから見たら一番きれいなんだっけ」 「正面でしょ、正面」 「でも沖からのほうが大きく見えるって地元の人が言ってた」 「地元の人ってあかりじゃん」

ふたりは喋りながら、人の流れに乗って、防波堤の先のほうへ歩いていった。 俺と夕は、もう少し根元寄りの場所に残った。 誰も「ここに残ろう」とは言わなかった。 気づいたら、そうなっていた。

2. 人混み

花火は連続して上がるようになった。

汐見の花火大会は、東京と比べたらたぶんずいぶん小規模なんだろう。 それでも、夜空にひらく一発一発は、空のかなり広い範囲を埋めて、海の上にもう一度、逆さまに咲いた。 波の上で、光が二重に揺れた。

人混みは、すぐに濃くなった。

防波堤は道幅が狭くて、すれ違うのにも肩が触れる。 誰かのリュックが俺の腕にぶつかった。 こっちもぶつかり返した。 ごめんね、いえいえ、いちいち、そういう小さなやり取りが続いた。

ふと気づくと、健太とあかりの後ろ姿は、人と人のあいだに紛れて、もう見えなかった。

夕は、空を見上げていた。 両手をうしろに組んで、すこしだけ顎を上げて。 横顔が、花火の色に、青く、紫に、白く、変わっていった。

きれいだな、と思ってしまった。 そのことに、自分でちょっと、戸惑った。 こんなときに、何を思ってるんだ俺は、と。

でも、たぶん、それも、本当のことだった。

3. 名前を呼ぶ

「片桐さん」

声を出すのに、すこし、勇気が要った。

「はい」

夕は、空を見たままだった。

「あの、写真のことなんですけど」

「うん」

俺は、息を吸った。 吸ってから、長く、吐いた。

「写真の女性、お母さんに似てると思うんです」

夕は、何も言わなかった。

空を見上げたまま、ただ、瞬きを、ふたつぶんくらい、した。 表情は、変わらなかった——ように見えた。 いや、たぶん、変わっていた。 でも、花火の光が顔を照らしては消えていくから、それが光のせいなのか、夕の表情の変化なのか、俺にはわからなかった。

ヒュ——、ドン。 また一発、上がった。 夕の頬が、紫に染まった。

「見てもらえますか」

俺はリュックから封筒を出した。 ジップロックを開けて、写真を、夕に渡した。

夕はようやく空から目を離して、俺のほうを見た。 見たというより、写真のほうに、ゆっくり目を落とした、という感じだった。

封筒を、両手で受け取った。

4. 長い時間

夕は、写真を、一枚ずつ見ていった。

人混みの中で、頭をすこしかがめて、花火の光をたよりに、ゆっくりと、ぜんぶ、見ていった。

俺は、何も言えなかった。 何かを言いたい気持ちは、たぶんあった。 たとえば「ごめんなさい、急にこんなこと言って」とか、 「違ってたら、忘れてください」とか、 そういう、安全な言葉が、頭の中にいっぱいあった。

でも、口にしなかった。 口にしたら、夕がいま写真をちゃんと見てくれているこの時間が、薄まる気がした。 それを、邪魔したくなかった。

最後の一枚に、夕の手がたどりついた。

笑っていない女性の写真。 遠くを見ている、あの一枚。

夕の手が、そこで止まった。

長かった。 ほんとうに、長かった。 何発、花火が上がっただろう。 覚えていない。 たぶん、何発も。

5. わかりません

夕は、最後に、写真をそろえて封筒に戻した。

きれいに、きちんと、もとの順番に重ねて、ジップロックに入れて、ファスナーまで閉めて、俺に返した。

その手の動きの、丁寧さが、なぜか、ちょっと、こわかった。

「片桐さん——」

「……わかりません」

夕は、言った。

声は震えていなかった。 怒ってもいなかった。 ただ、はっきり、わかりません、と言った。

その「わかりません」は、たぶん、似ているか似ていないかのことを言っていたのではなかった。 俺にも、それくらいは、わかった。

それは、もっと——いろいろなことに対しての、「わかりません」だった気がした。

夕は、すこし、俯いた。

「お母さんが」

夕は、ぽつりと、言った。

「写真を、私に、見せたがらなかった理由が—— いま、わかった気がします」

それだけ、言った。 それから、顔を上げて、俺をいちど見て、また下を向いて、 ふいに、人混みのほうに、歩き出した。

「片桐さん」

呼んだ。

夕は、振り返らなかった。

歩き方は、走っていなかった。 むしろ、ゆっくりだった。 ゆっくりだったけど、人混みの中に入ると、夕はすぐに見えなくなった。

6. 追えない

俺は、その場に立ち尽くしていた。

足が、動かなかった。 動かそうと思えば、動かせた。 動かそうと思って、動かさなかった、という方が、たぶん、正しい。

追いかけて、何を言うつもりだったんだろう。 ごめんなさい、なのか。 それは、違う気がした。 それを言ったら、たぶん、夕は、もっとつらかった。

ヒュー——、ドン。 ヒュー——、ドン、ドン、ドン。

連発が、夜空にひろがった。 たぶん、フィナーレだった。 人混みが、わーっと声をあげた。 誰かが「すげー!」と叫んでいた。 誰かが拍手をしていた。 たぶん、子供が泣いていた。

俺は、その全部を、ぜんぶ、聞きながら、見ていた。 空を見ていなかった。 見ていなかったから、何が打ちあがっていたかは、覚えていない。

煙が、海の上にゆっくり広がった。 火薬の匂いが、潮の匂いに、すこし、混ざった。

健太とあかりが、戻ってきた。

「やばかったな今年の」 「最後ぜんぶつなげるやつ、卑怯だよね」 「あれ、夕は」

あかりが、すこし、首をかしげた。

「先に帰った」と俺は言った。 声が、自分でも、ちょっと、平らすぎた。

あかりは、俺をすこし見た。 何かを聞こうとして、聞かなかった。 その目が、いつもの軽さじゃ、なかった。

健太が「マジかよ」と言いかけて、あかりに、肘で、つつかれていた。

夕は人混みの中に消えた。 追いかけなかった。 追えなかった。


次回「戻る」は2026年8月28日公開予定です。


📷 カメラの話

花火をフィルムカメラで撮る

夕と並んで見たあの花火。もし蒼がカメラを構えていたら——

フィルムで花火を撮るのは、じつはちょっと特別な作業です。シャッターを開けたまま固定して、花火が上がるのに合わせて開く・閉じるを操作する「バルブ撮影」というやり方が定番。デジタルみたいに撮ってすぐ確認、というわけにはいきません。一枚一枚、賭けるみたいに撮る。

ぜんぶ撮り終わって、現像が上がってきて、初めて「あの夜、自分は何を見ていたのか」がわかる。フィルムで撮った花火には、肉眼で見たのとはちょっと違う、自分の記憶のほうが追いついてくる感じがあります。