1. 新人研修の朝
土曜日。
新人研修の日だった。
区の教育センターに、今年採用された新人教師が集まる。
私以外にも、何人もいるらしい。
「緊張する...」
バスの中で、小さく呟いた。
同期の先生たち、どんな人だろう。
私みたいに不安な人、いるかな。
それとも、みんな自信満々なのかな。
教育センターに着いた。
入り口で、受付を済ませる。
「瀬良美咲さんですね。Bグループの席へどうぞ」
「はい」
会議室に入ると、すでに何人かいた。
緊張した顔。
私と同じだ。
少し、安心した。
2. 同期の小林先生
隣の席に、同じくらいの年齢の女性がいた。
「あの、隣いいですか」
「あ、はい。どうぞ」
座ると、その人が話しかけてきた。
「初めまして。私、小林って言います。数学担当で」
「瀬良です。英語担当です」
「瀬良さん、どこの学校ですか?」
「えっと、桜台中学です」
「あ、私、隣の緑が丘中!近いですね」
「本当だ」
小林先生が笑った。
明るい人だな。
「瀬良さん、授業始まった?」
「はい。一昨日から」
「どうだった?」
「...最初、早口になっちゃって。生徒に止められました」
「あー、分かる!私も緊張して、黒板の字がめちゃくちゃになった」
「えー」
「sin θって書こうとして、sin 0って書いちゃって」
「それは...」
「生徒に『先生、それ違う文字です』って言われた」
二人で笑った。
みんな、同じなんだ。
失敗してるのは、私だけじゃない。
3. プロ一年目
研修が始まった。
講師は、ベテランの指導主事。
六十代くらいの、穏やかそうな男性。
「皆さん、教師になって一週間。どうですか」
会場が、少しざわついた。
「大変ですよね。分かります」
指導主事が笑った。
「でもね、大変なのは当たり前なんです。皆さん、プロ一年目ですから」
プロ一年目。
確かに、そうだ。
「大学で学んだことは、基礎です。現場で学ぶことの方が、ずっと多い」
「...」
「失敗して当然。むしろ、失敗しないと成長しない」
指導主事の言葉が、心に響いた。
「今日は、授業の基本を確認します。でも、本当に大事なのは現場での実践です」
4. みんな同じ悩み
グループワークの時間。
Bグループのメンバーと、自己紹介をした。
小林先生の他に、三人いた。
田中先生、社会科。二十四歳。
佐藤先生、理科。二十二歳。
高橋先生、国語。二十五歳。
「みんな、最初の授業どうだった?」
田中先生が聞いた。
「私、板書が遅くて、時間が足りなくなった」
「分かる。私も」
「私は、生徒の名前を間違えた。『山田くん』って呼んだら、『山本です』って」
「えー」
「しかも二回」
みんなで笑った。
「瀬良先生は?」
「私は、早口になっちゃって。ネイティブ発音で読んだら、生徒に『分からない』って言われました」
「あ、英語の先生?」
「はい。シアトルに住んでたことがあって」
「すごい!」
「でも、それが裏目に出て...」
「日本の生徒には、日本式の方がいいってこと?」
「そうみたいです」
小林先生が言った。
「結局、現場で学ぶしかないってことだよね」
「うん」
「教科書通りにはいかない」
「いかないね」
みんな、同じ悩みを抱えてる。
それが分かっただけで、心強い。
5. テストだけ満点の子
昼休み、小林先生と外でお弁当を食べた。
「瀬良先生、彼氏いる?」
「いないです」
「私も。仕事忙しくて、それどころじゃないよね」
「ですね...」
小林先生が笑った。
「でも、生徒は可愛いでしょ?」
「はい。元気で」
「私のクラスにもね、面白い子がいて」
「どんな子ですか?」
「授業中に寝てるのに、テストだけは満点取る子」
「え、それ...」
南雲くんみたい。
「そういう子、どうしてます?」
「どうもしない。本人がやる気ないから」
「そうなんですか」
「先生が無理やり起こしても、意味ないし」
「...」
「でも、気になるんだよね。なんで授業出ないんだろうって」
私も、同じことを思ってた。
南雲くん、なんで授業に出ないんだろう。
6. 模擬授業
午後の研修。
模擬授業の練習があった。
「では、Bグループ、前に出てください」
私たち五人が、前に立つ。
他のグループが、生徒役。
「瀬良先生、英語の授業をお願いします」
「は、はい」
緊張する。
でも、やるしかない。
「えっと、今日は現在進行形を勉強します」
ゆっくり話す。
生徒の顔を見る。
黒板に書く。
「現在進行形は、be動詞+動詞のing形で作ります」
生徒役の先生たちが、頷いてる。
よし、伝わってる。
「例えば、I am studying English.」
今度は、ゆっくり発音した。
日本式に。
「アイ・アム・スタディング・イングリッシュ」
生徒役が、後について読んでくれた。
良かった。
7. 習うより慣れろ
模擬授業が終わった。
「瀬良先生、良かったですよ」
指導主事が言った。
「ゆっくり話せていました。生徒の顔も見ていた」
「ありがとうございます」
「本番でも、その調子で」
「はい」
小林先生が、親指を立ててくれた。
嬉しい。
でも、これは練習。
本番は、もっと難しい。
「皆さん、今日学んだことを、来週から実践してください」
指導主事が言った。
「『習うより慣れろ』です。やってみないと、分からない」
習うより慣れろ。
その通りだと思う。
研修で学んだことも、現場でやってみないと身につかない。
失敗しながら、慣れていくしかない。
8. 心強い仲間
研修が終わって、小林先生と連絡先を交換した。
「また愚痴り合おうね」
「はい。ぜひ」
「困ったことあったら、連絡して」
「小林先生も」
小林先生が笑った。
「同期って、いいよね。同じ立場だから」
「そうですね」
「お互い、頑張ろう」
「はい」
バスに乗って、帰る。
窓の外を見ながら、今日のことを振り返った。
同期の先生たち。
みんな、同じように悩んでる。
同じように、失敗してる。
私だけじゃない。
それが分かっただけで、心が軽くなった。
9. 大家さんのタケノコ
日曜日。
アパートで、来週の授業準備をしてた。
ドアがノックされた。
「瀬良さん」
大家さんの声だ。
「はい」
ドアを開けると、大家さんが立っていた。
手に、紙袋を持ってる。
「これ、タケノコ。知り合いからもらったんだけど、うちじゃ食べきれなくて」
「え、いいんですか」
「若い人は、栄養つけないと」
「ありがとうございます」
大家さんが笑った。
「仕事、どう?」
「昨日、新人研修があって」
「へえ」
「同期の先生と話せて、良かったです」
「そうかそうか。仲間がいると心強いもんね」
「はい」
大家さんが、少し考えてから言った。
「瀬良さん、困ったことあったら、いつでも言いなさいよ」
「...はい」
「うちの婆さんも、応援してるから」
「ありがとうございます」
大家さんが去っていった。
タケノコを見る。
どうやって料理するんだろう。
ネットで調べないと。
でも、嬉しい。
こうやって気にかけてくれる人がいる。
一人暮らしは寂しいけど、周りには優しい人がたくさんいる。
10. 岩崎先生の言葉
月曜日。
学校に着くと、岩崎先生がいた。
「瀬良先生」
「は、はい」
「土曜の研修、どうだった」
「え、知ってたんですか」
「新人は全員行くからな」
岩崎先生が、じっと私を見た。
「何か学んだか」
「はい。同期の先生と話せて、良かったです」
「そうか」
「みんな、同じように失敗してて。私だけじゃないって分かりました」
「...」
岩崎先生が、少し頷いた。
「『習うより慣れろ』という言葉がある」
「あ、研修でも言われました」
「そうか。なら、分かっているな」
「はい」
「研修で学んだことは、すぐに実践しろ。頭で分かっても、体で覚えないと意味がない」
「...はい」
岩崎先生は、そう言って去っていった。
習うより慣れろ。
研修でも、岩崎先生からも、同じ言葉を聞いた。
大事なことなんだ。
やってみないと、分からない。
失敗しながら、慣れていく。
それしかないんだ。
11. 研修の成果
一時間目、三年二組の授業。
今日は、現在進行形の復習。
研修で練習した内容だ。
「現在進行形は、be動詞+動詞のing形で作ります」
ゆっくり話す。
生徒の顔を見る。
「例えば、『私は今、英語を勉強しています』は?」
手が挙がった。
蓮くんだ。
「I am studying English now.」
「正解。蓮くん、素晴らしい」
蓮くんが少し照れた。
「じゃあ、みんなで練習しましょう」
声に出して、一緒に読む。
研修で学んだ通り。
生徒たちが、楽しそうについてきてくれる。
良かった。
授業が終わった時、少しだけ手応えを感じた。
12. Practice makes perfect
放課後、職員室で反省ノートを書いた。
「今日は上手くいった」
「研修の成果が出た」
「でも、まだ緊張する」
小さな進歩。
でも、進歩だ。
千里の道も一歩から。
習うより慣れろ。
少しずつ、慣れていけばいい。
失敗しても、立ち直ればいい。
窓の外を見ると、夕焼けが綺麗だった。
来週も、頑張ろう。
一日一日、慣れていこう。
エミリーにメッセージを送った。
『Had a training session on Saturday. Met other new teachers. We all have the same worries.』
返事が来た。
『That's good! You're not alone.』
『Yeah. I feel better now.』
『Keep it up! Practice makes perfect.』
Practice makes perfect.
習うより慣れろ。
同じ意味だな。
世界中、どこでも同じなんだ。
目を閉じた。
教師になって、一週間が終わった。
まだまだ未熟だけど、少しずつ前に進んでる。
それでいい。
それしかないんだから。
次回「親の心子知らず」は2026年4月29日(水)公開予定です。