YMO世代の気持ち -ノベル館-

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水曜日を待つ人たち -第3話「物語の届く場所」-

 三月二十五日、水曜日。

 田中誠一が出版社に入ったのは、バブルが弾ける少し前のことだった。以来、本を作り続けてきた。装丁の手触り、紙の匂い、校正刷りの朱字——それが誠一にとっての「仕事」だった。

 来月から、管理部門への異動が決まっている。

 年齢的には仕方ない、と自分に言い聞かせている。でも納得しているかと言えば、していない。本の作り方を体で覚えて、やっと面白くなってきたと思っていた矢先のことだった。まだ終わりたくない、という気持ちと、もう仕方ないという諦めが、三月の間じゅう誠一の中で均衡を保っていた。

 その夜、商談のキャンセルで時間が空いた。誠一はあてもなく、見知らぬ商店街を歩いた。

 外れの路地に、「まちの図書室」という看板を見つけた。閉館後らしく、灯りは落ちていた。外に置かれたベンチに、文庫本が一冊。

 三十年の癖が出た。拾い上げて、奥付を確認する。昭和の文庫本で、何度も読み返された跡がある。誰かに大切にされてきた本だということが、手に取った瞬間にわかった。

 中からカードが落ちた。

 「2026年4月1日より、ウェブ連載開始」

 編集者の目が動く。作品名を読む。あらすじらしき短い言葉を読む。

 図書室の管理人が書く日刊小説、と書いてある。若い教師が主人公の週刊小説、とも。


 家に帰って、スマホで検索した。

 予告ページには、こんな言葉が書かれていた。

 「立ち止まることは、臆病じゃない。それは、進むための準備なんだ」

 三十年の癖で、著者を調べようとした。名前を検索し、プロフィールを探した。でも何も見つからなかった。誰がこれを書いたのか、どこにも書いていなかった。

 それでも言葉は、確かに自分の胸に届いていた。

 編集者として、いくつもの帯文やキャッチコピーを作ってきた。良い言葉と、そうでない言葉の違いは、長年の仕事でなんとなくわかるようになっていた。これは、本当に思っていることを書いた言葉だ、とすぐにわかった。

 「こういう形で、物語は届くのか」

 ウェブで、無料で、毎日更新で。紙でも、書店でも、帯文でもなく。

 誠一は少し笑った。

 物語が人を動かす力は、媒体に関係がない。当たり前のことを、三十年かけて気づいた。来月から編集の現場を離れることへの抵抗が、少しだけ形を変えた気がした。物語を届ける方法は、一つじゃない。

 物語を書くのが、人間だけだった時代が、静かに終わりつつあるのかもしれない。

 そういえば、このカードはどこから来たのだろう。

 誰かがこの文庫本を読んで、カードを挟んで、図書室の前のベンチに置いていったのだ。その前には、また別の誰かがいたのかもしれない。物語というのは、こうやって人から人へと渡っていくものかもしれない。本の形をしていなくても。

 四月一日が、楽しみになっていた。

 誠一は画面を閉じて、窓の外を見た。三月の夜空に、細い月が出ていた。


 

2026年4月1日(水)開幕

『水曜日の朝、信号が青になるまで』 毎朝6時更新・全365話

『ケセラ瀬良なんです! 〜二三歳、先生はじめました〜』 毎週連載

四月から、一緒に歩きませんか。