YMO世代の気持ち -ノベル館-

YMO世代の気持ちのサブブログです。

天声人誤 第5回 想定外

天声人誤 ——ある誤読者の手記

 その話を最初に見たとき、俺は完全に信じた。

 食料品の消費税をゼロにする案があった。それに反対したのはレジのメーカーだ、という話である。社名まで並んでいた。三社だか四社だか、誰でも知っている名前だった。

 「なんでやねん」

 畳の上で声が出た。庶民が一円でも安く米を買いたがっているときに、レジが対応できないから駄目だという。しかもそれを、レジを売っている側が言う。

 俺は憤慨したまま十分ほど過ごし、それから、いちおう元の記事を探した。記者の職業病である。

 見つけた記事には、社名が一つも書かれていなかった。

www.tokyo-np.co.jp

 書いてあったのは、こういうことである。四月八日、政府の実務者会議がレジシステムのメーカーから話を聞いた。税率をゼロにするなら改修に一年程度かかる。一パーセント残すなら三カ月以内でも可能だ——それだけだ。

 反対した、とは書いていない。期間を答えただけである。

 俺が見たあの話は、匿名が実名になり、見積もりが反対になったものだった。二段階の変換を経て、俺の畳の上まで届いていた。

 自分の畳を見た。この上で十分間、俺は存在しない誰かに腹を立てていた。

 さて、ここで終われば、話は「デマに気をつけよう」で済む。

 済まないから書いている。

 記事の見出しは、こうだった。消費税ゼロは「想定外」だった、お店のレジシステム。

 想定外である。

 三十年以上、この国の消費税は上がり続けてきた。上がる方向は全部想定されていた。下がる方向、それもゼロという値は、誰も入れていなかった。入れなくていいと思われていた。

 そして今、その「入れなかった」という一点が、税率の議論そのものを押している。ゼロなら一年、一パーセントなら三カ月。この差が、政策の選択肢を削っている。

 誰も反対していない。反対していないのに、ゼロは遠ざかった。

 反対者がいるなら、まだいい。腹の立て先がある。名前を並べて、俺のような人間が畳の上で怒れる。

 いないのだ。誰も。

 いるのは、真面目に期間を答えた技術者と、それを聞いて現実的な案を探した人たちと、そして三十年前に「下がることはないだろう」と考えた誰かだけである。その誰かは、たぶんもう定年している。

 悪意がどこにも無いまま、米の値段は据え置かれる。

 俺は独身で、自炊もろくにしない男である。

 それでも、卵と米と、あと発泡酒の値段くらいは分かる。買い物かごの底で八パーセントが効いてくるのが分かる程度には、この十年で暮らしが細くなった。

 改修に一年、だそうだ。

 こっちは、回収の当てもない。

 うまいことを言ったつもりだが、財布からは一円も戻ってこない。

参照した記事

※この文章はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

この連載について

『天声人誤 ——ある誤読者の手記』は、東京都飽留野市(架空)に住むタウン誌記者・中村悟が 書いている、という体裁の不定期連載です。

世の中の出来事、街の日常、走った先で見たもの——何でも扱いますが、語り手はそのすべてを 少しずつ読み違えます。実在の出来事に触れた回では、参照した記事へのリンクを末尾に置いています。

更新は不定期。ネタが溜まったときに書きます。

前の記事: 天声人誤 第4回 うちがやることか 連載一覧: 天声人誤