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天声人誤 第8回 圏外

天声人誤 ——ある誤読者の手記

 肩をぶつけられた。

 立川の駅で、人の流れが交差するあたりである。避けたつもりが避けきれず、右の肩に硬いものが当たった。相手は五十がらみの男で、振り向きもせずに行ってしまった。

 俺は立ち止まって、三秒ほど考えた。いまのは、事故か、業務か。

 いわゆる「ぶつかりおじさん」というものがある。人混みでわざと肩を当てて歩く男のことだ。何年か前に、駅で女性に体当たりする男の動画が出回って、名前がついた。おばさん版もいるという話も聞く。

 俺は帰ってから、迷惑行為の統計を調べた。日本民営鉄道協会が毎年「駅と電車内の迷惑行為ランキング」を出している。五千三百十四人に聞いた、まっとうな調査である。

www.mintetsu.or.jp

 一位は「周囲に配慮せず咳やくしゃみをする」で、五〇・五パーセント。二位が「座席の座り方」、三位が「騒々しい会話」、四位が「強い香り」。五位が「乗降時のマナー」で二三・八パーセント、内訳では扉付近から動かないのが最も嫌がられている。

 ……ぶつかりおじさんは。

 無い。

 「なんでやねん」

 畳の上で声が出た。

 咳より下ということではない。そもそも項目に無い。 五位までどころか、下まで見ても出てこない。肩をぶつけられた男が家に帰って統計を開いたら、自分の受けた仕打ちがこの世に存在しないことになっていた。

 俺はしばらく本気で腹を立てていた。調査というものは何を数えているのか。現場を歩いたことがあるのか。

 ……という文章を、ここまで書いて手が止まった。

 迷惑行為だから、ランキングに入る。

 わざと人にぶつかるのは、迷惑行為ではない。あれは暴行である。 咳やくしゃみと同じ表に並べるものではない。この調査は数え損ねているのではなく、最初から違う話を数えている

 俺が探すべきだったのは、迷惑行為の表ではなかった。

 とはいえ、腹の虫は収まらない。

 あの五十がらみの男は、いま頃どこかを歩いている。すれ違う人の肩を目測しながら、自分が犯罪をしている自覚もなく、ランキングにも載らないまま、今日も無事に家へ帰る。

 こういうのを、なんと言えばいいのか。

 俺は肩の話を編集長にした。編集長は「痛かったね」と言って、それきり何も言わなかった。

 肩をぶつけられて、誰も肩を持ってくれない。

 こんなにうまいことを言っても、たぶん誰も気づかない。

参照した記事

※この文章はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

この連載について

『天声人誤 ——ある誤読者の手記』は、東京都飽留野市(架空)に住むタウン誌記者・中村悟が 書いている、という体裁の不定期連載です。

世の中の出来事、街の日常、走った先で見たもの——何でも扱いますが、語り手はそのすべてを 少しずつ読み違えます。実在の出来事に触れた回では、参照した記事へのリンクを末尾に置いています。

更新は不定期。ネタが溜まったときに書きます。

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