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天声人誤 第16回 行き先

天声人誤 ——ある誤読者の手記

 二か所目は、沢井原のドライブイン跡にした。

 国道沿いに、看板だけが残っている。建物は窓が抜け、駐車場の白線は消えかけ、自販機の跡地に四角い日焼けが残っている。廃業したのは十年以上前だと聞いた。

 地元では「出る」ということになっている。何が出るのかは、例によって誰も言えない。

 夜十時、トリシティで出た。

 国道をまっすぐ行けばいいのだが、その夜は途中で工事をしていて、片側交互通行の列が長かった。俺は列を離れて、旧道へ折れた。遠回りになるが、待つよりは早い。

 旧道は暗い。街灯が二百メートルおきにしかなく、その間はヘッドライトの届く範囲だけが世界になる。左手は山、右手は落ちれば川である。

 カーブをひとつ抜けたところで、バス停があった。

 屋根もベンチもない、標識だけのバス停である。時刻表の板が、街灯の光をわずかに返していた。

 その下に、人が立っていた。

 俺は速度を落とした。時刻は十時を回っている。この路線の終バスがいつかは知らないが、市街を外れたこのあたりで、一時間に一本か二本である。十時に来るとは思えない。

 立っているのは、たぶん女の人だった。こちらを見ていなかった。時刻表のほうを向いていた。

 声をかけるべきか、一瞬迷った。記者の癖である。 事情を聞きたくなる。終バスはもう出ましたよ、と教えるだけでもいい。

 かけなかった。

 ヘルメットを脱ぐのが面倒だったからだ。夜の山道で見知らぬ男に停まられるほうが、向こうも迷惑だろう。そう考えた。二つとも、筋の通った理由である。

 俺はそのまま通り過ぎた。

 五十メートルほど走って、ミラーを見た。

 誰もいなかった。

 バス停の標識だけが、光を返して立っていた。

 ……いま書いていて思うのだが、俺はこのとき、速度を上げていない。落としてもいない。同じ速さで走り続けた。それは、何も見なかったことにするというのに、いちばん近い動作だった気がする。

 ドライブイン跡には、十時半に着いた。

 何も起きなかった。

 建物の写真を撮り、看板の写真を撮り、駐車場の隅で草が伸びているのを撮った。虫が鳴いていた。不動隧道のときと違って、音はちゃんと聞こえた。十五分いて、帰った。

 帰りは国道を通った。工事の列はもう捌けていた。旧道を避けたわけではない。 国道のほうが早いからである。

 その週のウェブに上げた記事に、バス停のことは書かなかった。

 書けなかった、という言い方のほうが正確かもしれない。あの場所がどこなのか、俺には分からないからである。旧道のどのあたりだったか、地図を開いても特定できなかった。カーブをいくつか抜けた先、としか言えない。名前も知らない。

 名前の分からない場所で見たものは、記事にならない。

 念のために書いておくと、俺は幽霊を信じていない。暗かった。標識と草を見間違えた可能性はいくらでもある。人だと思ったものが人でなかったというのは、夜道ではよくある。

 よくあるのだが、あの人は時刻表を見ていた

 草は、時刻表を見ない。

 最後に一つ。

 あのバス停の標識には、行き先の表示が消えかけていた。読めなかった。

 行き先の分からないバスを待つ人、というところまで書いて、俺は「逝き先」と打ちそうになった。

 ……これは、書かなければよかった。

※この文章はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

この連載について

『天声人誤 ——ある誤読者の手記』は、東京都飽留野市(架空)に住むタウン誌記者・中村悟が 書いている、という体裁の不定期連載です。

世の中の出来事、街の日常、走った先で見たもの——何でも扱いますが、語り手はそのすべてを 少しずつ読み違えます。実在の出来事に触れた回では、参照した記事へのリンクを末尾に置いています。

更新は不定期。ネタが溜まったときに書きます。

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