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天声人誤 第19回 前の日

天声人誤 ——ある誤読者の手記

 今日は山の日である。

 飽留野は山に囲まれている。市街を外れて十五分も走れば峠の入口で、そこから先はどこまでも山が続く。東京都だが、山のほうがずっと多い。

 その山の日について、俺は何も知らなかった。祝日の名前を知っているだけである。恥ずかしながら、調べた。

 祝日法に書かれている山の日の趣旨は、次の一行だけだった。

 山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。

 以上である。

 海の日には、明治天皇が船で東北を回って横浜に戻った日という由緒がある。文化の日は憲法が公布された日で、勤労感謝の日には新嘗祭という長い前身がある。

 山の日には、それがない。

 八月十一日という日付についても、「八」という字が山の形に見えるとか、「11」が木の並びに見えるとか、そういう説明を見かける。ただしこれは、正式な由来ではなく後付けの説明に過ぎないと、はっきり書かれている。

 二〇一四年に成立して、二〇一六年から始まった。祝日としては、いちばん新しい。

 薄い、と思った。

 握るところがない。感謝しろと言われても、何に感謝するのかが決まっていない。

 では、なぜ八月十一日なのか。

 調べて、手が止まった。

 当初の案は、八月十二日だった。

 一九八五年八月十二日。

 日本航空一二三便は、羽田発、伊丹行きだった。定刻より十二分遅れて、十八時十二分に離陸している。乗っていたのは、乗客と乗員あわせて五百二十四人。お盆の入りで、席は埋まっていた。

 十八時二十四分。

 離陸から十二分後、機体の後ろで圧力隔壁が壊れた。垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧の操縦系統が四つとも失われた。舵が、利かなくなった。

 そこから、三十二分間

 この飛行機は、飛び続けている。

 十八時五十六分ごろ、群馬県多野郡上野村、高天原山の尾根に墜落した。のちに御巣鷹の尾根と呼ばれる場所である。

 五百二十人が亡くなった。生存者は四人だった。

 一機の航空機の事故として、世界でいちばん多くの人が亡くなった事故である。

 原因は、七年前にあった。

 一九七八年、この機体は着陸のときに尻もちをついている。その修理でボーイング社が圧力隔壁を直したのだが、そのやり方が適切でなかった。リベットの留め方が違っていて、接いだところの強度が大きく落ちていた。

 そのまま飛び続けるうちに金属が疲れ、七年かけて、壊れた。

 墜落した場所は、山である。

 山の日を八月十二日に置く案が出たとき、群馬県選出の議員たちが違和感を表明したのは、それが理由だった。御巣鷹の尾根は、山だからである。

 二〇一三年十一月の議員連盟の総会で、一日ずらすことが決まった。

 こうして、山の日は八月十一日になった。

 つまり——八月十一日という日付そのものに、理由はない。あるのは「八月十二日ではいけない」という理由だけである。

 念のために書いておくと、俺は当事者ではない。

 一九七九年生まれなので、事故のとき六歳だった。テレビが同じ映像を流し続けていたような気もするが、それが記憶なのか、あとから見た映像なのか、自分でも区別がつかない。覚えている、とは言えない。

 読んで知っただけの人間が、あの日について言えることは多くない。

 だから事実だけ書く。

 尾根には昇魂之碑が建っている。翌一九八六年に建てられた、高さ百六十センチの碑である。登山口から標高差でおよそ二百メートル上がったところにあり、返すことのできなかった遺品が納められている。

 毎年八月十二日、遺族が尾根に登る。斜面に散らばる一つ一つの墓標と、この碑に手を合わせる。夕方には麓の「慰霊の園」に集まる。

 明日で、四十一年になる。

 山の日は薄い祝日だと、俺は書いた。

 趣旨は一行しかない。由来も公式には決まっていない。何に感謝すればいいのかも書かれていない。

 書かれなかった理由は、次の日にある。

 今日、俺は山を見る。飽留野のどこからでも山は見える。

 明日も、同じ山が見えるだろう。

参照した記事

※この文章はフィクションです。語り手の中村悟は実在しません。 ただし、山の日の制定経緯と日本航空123便墜落事故について記した事実は、上に挙げた資料によります。

この連載について

『天声人誤 ——ある誤読者の手記』は、東京都飽留野市(架空)に住むタウン誌記者・中村悟が 書いている、という体裁の不定期連載です。

世の中の出来事、街の日常、走った先で見たもの——何でも扱いますが、語り手はそのすべてを 少しずつ読み違えます。実在の出来事に触れた回では、参照した記事へのリンクを末尾に置いています。

更新は不定期。ネタが溜まったときに書きます。

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