
その取材は、怪談とは何の関係もなかった。
市の地域交通の話である。飽留野の路線バスは、市街を外れると一時間に一本か二本しかない。それがさらに減る。来年度から、旧道を通る系統の便数が半分になる。沿線には高齢の方が多い。タウン誌としては、書かないわけにいかない題材だった。
俺は昼間、旧道を走った。夜に通った道である。昼に見ると、ただの県道だった。
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沿線の集落で、七十いくつの男性に話を聞いた。畑から上がってきたところを捕まえた形になって、申し訳なかったが、こちらの話には気持ちよく応じてくれた。
バスが減ると病院が遠くなる。娘は市街にいるが、平日は頼めない。免許は五年前に返した。——そういう話を三十分ほど聞いて、俺はノートを閉じた。
閉じてから、世間話のつもりで聞いた。
「このへんのバス停って、どのあたりまであるんですか」
男性は指をさして、いくつか名前を挙げた。そのうちの一つで、俺の手が止まった。
宮ノ下。
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位置を聞いて、間違いないと分かった。カーブを二つ抜けた先、山側に標識だけが立っている、あのバス停である。
俺は何気なく——本当に何気なく、聞いた。
「あそこ、夜に人が立ってたりします?」
男性は、畑の土を落としながら、こう言った。
「ああ、宮ノ下は昔から言いますね。立ってるって」
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俺は、いくつか確かめた。記者だからである。
事故があったのか。無い。事件は。無い。誰か亡くなったという話は。聞いたことがない。ではなぜ、と聞くと、男性は少し考えて、こう答えた。
「さあ。私が子どもの頃から言うから」
いわくが無い。無いのに、少なくとも六十年は言われている。
俺はここで、ようやく事の順序に気づいた。
俺は、あそこが心霊スポットだと知らずに行った。
知らずに通り、知らずに見て、名前も知らないまま帰ってきた。期待していないのに見たのである。肝試しに行って何かを見るのとは、順番が逆だ。
順番が逆だと、こんなに落ち着かないものかと思った。
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念のために書いておくが、俺は幽霊を信じていない。
この連載の一回目にもそう書いた。信じていない人間が行くぶんには何も減らない、とも書いた。あれは撤回しない。暗い夜道で見間違えることはある。俺はいまでも、あれは草か標識だったと思っている。
思っているが、その草の名前が「宮ノ下」だったことは、認めざるを得ない。
名前が付いた瞬間に、見たものの重さが変わる。これは我ながら面白い現象だと思った。同じものを見たはずなのに、名前を知る前と後で、体のこわばり方が違う。
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というわけで、企画の三か所目は宮ノ下バス停になった。
探しに行ったのではない。向こうから、三か所目のほうがやって来た。
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最後に、余計なことを一つ。
あのバス停は、来年度の減便で、いずれ廃止になるかもしれないという。
停留所という字は、停まって留まる所と書く。
停まる用も留まる用も無くなったあとも、あそこには留まる人がいるらしい。
……うまいことを言ったつもりが、書いてから寒くなった。
※この文章はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。
この連載について
『天声人誤 ——ある誤読者の手記』は、東京都飽留野市(架空)に住むタウン誌記者・中村悟が 書いている、という体裁の不定期連載です。
世の中の出来事、街の日常、走った先で見たもの——何でも扱いますが、語り手はそのすべてを 少しずつ読み違えます。実在の出来事に触れた回では、参照した記事へのリンクを末尾に置いています。
更新は不定期。ネタが溜まったときに書きます。
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