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天声人誤 第26回 訂正

天声人誤 ——ある誤読者の手記

 「中村くん、苦情が来てる」

 編集長がそう言ったとき、俺はキーボードの上で手を止めた。止めてから、指がまだ置かれたままなのに気づいて、膝に下ろした。

 「……はい」

 「あとで話すから」

 それだけ言って、編集長は電話を取りに行った。

 苦情が来ている、という一言には、独特の重さがある。

 内容を聞かされるまでの数十分が、いちばん長い。何の記事か分からない。誰が怒っているのかも分からない。分からないから、こちらは自分の書いたもの全部を疑うことになる。先月号、先々月号、その前。取材した相手の顔が順番に浮かぶ。

 俺はその数十分で、ずいぶん遠くまで考えた。

 「マスゴミ」という言葉がある。

 俺はこの言葉を使わない。乱暴だからだ。ひとつの職業に就いている数万人を、ゴミの一語で片づける言い方が、まともなわけがない。使う人の品位を疑うし、実際に現場で汗をかいている人間を知っていれば、そう簡単には出てこない言葉である。

 と、ここまでが俺の立場だ。

 ただし。

 乱暴な言葉が世間に定着するには、それなりの年月と、それなりの理由がいる。

 誤報が出る。訂正が載る。訂正は、元の記事の四分の一の大きさで、下のほうに載る。読んだ人は、たいてい元の記事しか覚えていない。それでも訂正は載せたことになる。

 断定して、外して、黙る。切り取って、並べ替えて、意味を変える。取材相手が「そういう意味ではない」と言っても、活字になったほうが残る。

 こういうことが、何十年ぶんも積み上がった先に、あの一語がある。言葉が乱暴なのと、言われる理由がないのとは、別のことだ。

 では、俺はどうなのか。

 うちは三人のタウン誌である。刷る部数は知れている。駅前のラックとスーパーの入口に置いてあって、持っていく人は持っていき、余ったぶんは月末に回収される。世の中を動かすようなものは、一行も書いていない。

 だから許される、と言えるだろうか。

 言えない。小さい嘘は、小さいままでは届かない。 読んだ一人の中では、大きい嘘と同じ大きさになる。部数が少ないというのは、書く側の言い訳であって、読む側には関係がない。

 むしろ逆かもしれない。うちの記事に載った店は、それで客が来たり来なかったりする。名前を間違えられた人は、その号がラックから消えるまで、間違った名前で呼ばれる。規模が小さいほど、一人あたりの被害は濃い。

 誠実である、とはどういうことか。

 三つあると思う。

 一つ。正確に書くこと。裏を取り、数字を確かめ、聞いた言葉を勝手に整えないこと。

 二つ。間違えたら直すこと。これは一つ目より難しい。直すというのは、間違えたと認めることだからだ。

 三つ。直したことを、間違えたのと同じ大きさで載せること。

 三つ目がいちばん難しい。四分の一の訂正が世に溢れているのは、みんなこれが難しいと知っているからである。同じ大きさで載せるというのは、自分の失敗に、自分の記事と同じ面積を割くということだ。

 俺にそれができるか。

 ここで、いやな符合に気がついた。

 この手記の一回目に、俺はこう書いている。歪んだまま書く。訂正はしない。

 あれは手記の話だ。ここは俺の場所で、市の標語を掛詞だと言い張ろうが、山が夜を作っていると信じようが、誰も困らない。記事は街のものだが、手記は俺のものである。だから訂正しない。

 ——という言い分が、いま、自分でもうまく立たない。

 同じ人間が書いている。片方で「訂正はしない」と宣言し、もう片方で「同じ大きさで訂正を載せるべきだ」と考えている。その二つが同じ頭の中にあることを、俺は今日まで一度も不思議に思わなかった。

 何の記事だろう。菓子屋の専務の話か。市の標語か。それとも、この夏に四回もやった心霊スポットの記事か。

 心霊スポットだとしたら、俺は書き方を誤ったかもしれない。あれは、いわくのない場所に、俺が四ページぶんの重さを与えた話である。誰かの家の近くかもしれない。夜中に人が来るようになったかもしれない。

 考えれば考えるほど、心当たりが増えていく。

 三十分ほど、俺はそうしていた。

 「中村くん」

 編集長が戻ってきた。俺は椅子ごと向き直った。たぶん、いい姿勢をしていたと思う。

 「先月号の、街路灯の記事ね」

 「……街路灯」

 思い出すのに、二秒かかった。市が防犯のために市内の街路灯を順次交換している、という記事である。四百字。写真一枚。俺が書いた中でも、いちばん静かな部類の原稿だ。

 「あれの見出し」

 編集長は、手元のコピーを机に置いた。

 「市内の街路灯、LSD化へ」

 しばらく、何も言えなかった。

 「……エルイーディー、ですよね」

 「そう」

 「一文字」

 「一文字」

 俺は自分の原稿ファイルを開いた。開く前から、たぶん分かっていた。俺の原稿の時点で、LSDだった。 誰の入力ミスでもない。俺が打って、俺が読み返して、俺が通した。

 苦情の主は、七十代の男性だという。怒ってはいなかったそうだ。編集長によれば、電話の第一声はこうだった。

 「あの、うちの前の電柱も、そのエルエスディーになるんでしょうか」

 誠実さについて、俺は三十分考えた。

 正確に書くこと。間違えたら直すこと。直したことを、同じ大きさで載せること。

 その三つを、キーを一つ隣に打ち間違えた男が考えていた。

 「訂正、次号に入れとくから」

 編集長はそう言って、自分の席に戻った。同じ大きさで載せるかどうかは、聞かなかった。 聞かなくても、あの人は載せると思う。

 街路灯は、予定どおり交換されるらしい。

 明るくなるのはいいことだ。夜の旧道が全部明るくなったら、俺の夏の企画は成立しなくなるが、それは俺の都合である。

 街路灯は、無事に点灯する。

 こちらが、転倒した。

 ……この一行を書くために三十分考えたのだとしたら、割に合わない。

※この文章はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

この連載について

『天声人誤 ——ある誤読者の手記』は、東京都飽留野市(架空)に住むタウン誌記者・中村悟が 書いている、という体裁の不定期連載です。

世の中の出来事、街の日常、走った先で見たもの——何でも扱いますが、語り手はそのすべてを 少しずつ読み違えます。実在の出来事に触れた回では、参照した記事へのリンクを末尾に置いています。

更新は不定期。ネタが溜まったときに書きます。

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