YMO世代の気持ち -ノベル館-

YMO世代の気持ちのサブブログです。

第2話:笑顔のパーセンテージ

近所のコンビニに、新しい接客マニュアルが導入されたらしい。
 レジ横の目立たない場所に貼られた「接客心得」のチラシが、僕の観察眼に引っかかってしまった。そこには図解入りでこう書かれていた。
『お客様と目が合った瞬間、口角を十五度上げ、前歯を三本見せるイメージで微笑むこと。それは「安心」を売るための標準装備である』

 三本。
 僕はレジ待ちの列に並びながら、マスクの下でこっそり「歯を三本だけ見せる笑顔」を試行錯誤してみた。これが意外と難しい。二本だと少し控えめすぎて、四本見えると「過剰なサービス」あるいは「単なるニヤけ顔」になってしまう気がする。
 前の客の会計が終わった。いよいよ僕の番だ。
 新人らしい店員さんは、明らかに頭の中で「三、二、一……」とカウントダウンを行い、マニュアル通りの笑顔を繰り出してきた。
 が、緊張のせいか、彼女の右側の犬歯だけがキラリと一本、不自然に突出していた。それは「安心」を与える笑顔というよりは、獲物を前にして理性を保とうとする小動物の威嚇に近いものがあった。

「……レジ袋、ご利用になりますか?」
 威嚇(マニュアル上の笑顔)と共に問われ、僕は思わず「あ、はい、命だけは助けてください」と口走りそうになり、慌てて「一枚お願いします」と答えた。

 効率化された親切は、時に野生の恐怖を呼び覚ます。
 店を出て、僕は自分に問いかける。彼女はなぜ、あんなに苦しそうに笑わなければならないのだろう。十五度の角度と三本の歯で構成された「標準装備」の安心は、本当に僕たちの心を豊かにしているのだろうか。
 透子にこの話をすると、彼女はスマホから目を上げずに即答した。
「湊くん、深読みしすぎ。彼女はただ、バイト代のために筋肉を動かしてるだけ。感情を売ってるんじゃなくて、マニュアルを守るという労働を提供してるの。そこに心を求めちゃうのが、湊くんの『重い』ところだよ」
「心を求めないことが、正しい大人の作法なのかな」
「そう。感情をコストカットして、みんな効率よく生きてるの。私も会社じゃ、歯を八本見せて笑ってるわよ。その方が仕事が早いから」

 八本の笑顔。それはもう、笑顔という名の戦闘服だ。
 僕は図書室のカウンターで、自分の口角を少しだけ意識してみた。鏡に映ったのは、十五度にも満たない、曖昧な「困り顔」だった。

 信号が黄色から赤に変わる音が聞こえた気がした。
 立ち止まって考えろ、と。僕はまだ、マニュアル化された世界に「進め」の合図を出せずにいる。