YMO世代の気持ち -ノベル館-

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第7話:天秤の上の付箋

火曜日の午後。図書室の返却ポストに、一冊の古い倫理学の本が入っていた。
 何気なくページをめくると、有名な「トロッコ問題」が解説されているページに、一枚のピンク色の付箋が貼られていた。
『五人を助けるために、一人の命を犠牲にするレバーを引くべきか?』
 付箋には、走り書きのような筆跡で、ただ一言だけこう書かれていた。
『レバーを引いた後の、その手の汚れはどうやって落とせばいい?』

 教科書の中の問いは、常に数式のように冷酷だ。五か一か。最大多数の最大幸福。
 けれど、この付箋を書いた主は、数字の問題ではなく、レバーに触れる「手の感触」について悩んでいる。それは、システムの一部になることを拒絶した、生身の魂の叫びのように思えた。

「湊くん、また難しそうな顔して本を睨んでる。呪いでもかけてるの?」
 いつの間にか背後に立っていた透子が、僕の手元を覗き込んだ。彼女は付箋の文字を読み、ふっと鼻を鳴らした。
「答えは簡単じゃない。石鹸で洗えばいいのよ。汚れが落ちなくても、そうやって生きていくしかないんだから」
「石鹸で洗えば済む問題じゃないよ、透子。この人は、自分が加害者になるという事実に耐えられないんだ」
「甘いよ。レバーを引かなければ、五人が死ぬのをただ見ていたという『無作為の罪』を背負うことになる。どっちにしろ、手は汚れるの。だったら、少しでもマシな方を選ぶのが、責任ってものじゃない?」

 彼女の言葉は、完璧な正論だった。
 現実社会では、透子のように「汚れる覚悟」を持ってレバーを引く人が、物事を動かしていく。僕のような人間は、ただ天秤の前で立ち尽くし、どちらの重みにも耐えられずに動けなくなるだけだ。
 けれど、僕は思う。
 レバーを引くことに躊躇(ちゅうちょ)しない世界よりも、レバーの前で「手が汚れる」と震える人が一人でも多くいる世界の方が、ほんの少しだけ優しいのではないか。

 夕暮れの図書室に、本を閉じる乾いた音が響いた。
 付箋を貼った人物が、次にこの本を手に取ることはないかもしれない。
 けれど、そのピンク色の小さな紙切れは、僕の心の中に「正解のない重み」を残していった。
 僕はそれを剥がさず、あえてそのまま本を棚に戻した。