月曜日の朝。駅の改札で、誰かが誰かの肩に軽くぶつかった。
ぶつかった方はもちろん、ぶつかられた方も、反射的に「すみません」と言って、足早に去っていく。そこには怒りも反省もなく、ただ「摩擦を最小限にするための呪文」が交わされただけだった。
現代社会において、謝罪の言葉はインフレを起こしている。
自分に非がない時でも、空気を乱さないために、あるいは相手の機嫌を損ねないために、僕たちは安易に「申し訳ありません」という盾を構える。
図書室でもそうだ。予約した本がまだ届いていないことを告げると、僕は何の落ち度もないのに「申し訳ありません」と謝る。すると利用者は、僕のせいではないと分かっていながら、満足げに頷いて去っていく。
「湊くん、またそんな顔して。謝るなんて、タダなんだからいいじゃない」
夜、透子が会社での出来事を話しながら言った。彼女は今日、上司のミスをクライアントに謝罪してきたらしい。
「でも透子。自分が悪くないのに謝り続けると、心の中の『誠実さ』の残高が、どんどん減っていく気がしない? 言葉の価値が軽くなって、いつか本当に大切な謝罪が必要な時に、何も響かなくなっちゃうよ」
「……それは理想論よ。組織の中にいたら、自分の尊厳を守るよりも、物事を円滑に進める方が優先されるの。『すみません』は、潤滑油なの。油をケチって、機械が壊れたらどうするの?」
透子の言葉は、現実の冷たさを帯びていた。
彼女が職場で何十回も「すみません」を繰り返しながら、その裏でどれだけの自分を削っているのかを思うと、僕は胸が痛む。
謝罪の言葉が飛び交うほど、この街からは「許し」という概念が消えていく気がする。
自動的に謝ることで、僕たちは本当の意味で相手と向き合うことを避けているのではないか。
僕は夜のキッチンで、彼女のために少し良いお茶を淹れた。
「……ごめんね、湊くん。つい仕事の口調になっちゃった」
透子が小さく言った。その「ごめん」だけは、さっきの潤滑油とは違う、僕の心に真っ直ぐ届く、体温のある言葉だった。