YMO世代の気持ち -ノベル館-

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第25話:古本の匂い

土曜日の図書室は、情報の鮮度が「失われている」からこそ価値がある場所だ。
 インターネットの世界では、一分前のニュースですら古びていく。けれど、ここにある本たちは、数十年、時には数百年もの間、同じ言葉を抱えたまま静かに呼吸をしている。

 僕は、背表紙が少し剥げた古い文庫本を手に取った。
 ページをめくると、特有の甘く、どこか懐かしい匂いが立ち上がる。紙に含まれるバニリンが分解されることで生まれる、時の記憶の匂いだ。
「湊くん。その匂い、嗅いでるだけでトリップできそうだね」
 透子がソファで雑誌をパラパラとめくりながら言った。彼女の横には、淹れたてのハーブティーが置かれている。

「古本の匂いを嗅ぐと、この本を読んできた何百人という人たちの人生が、自分の中に流れ込んでくる気がするんだ。僕たちは一人で生きているけれど、決して孤独ではないんだって」
「……私は、その匂いを嗅ぐと、ちょっとだけ怖くなるけどな。自分が死んだ後も、この本は誰かに読まれて、同じ匂いを放ち続けるわけでしょ。自分の存在が、あまりにちっぽけに思えて」

 透子の感覚も、また真理だった。
 人間は移ろいやすく、脆い。けれど、言葉を紙に託すことで、僕たちは時間を超える手段を手に入れた。
「ちっぽけでいいじゃないか。大きな物語の一部になれるなら、それは一つの救いだよ」
「湊くんは、本当に楽観的ね。私は、自分の名前がどこにも残らないのが、たまらなく不安になる時があるわ」

 彼女はそう言って、僕の手元にある本を奪い取り、深く息を吸い込んだ。
「……やっぱり、ちょっと落ち着くかも。情報のゴミに埋もれるよりは、紙の匂いに埋もれる方がマシね」
 土曜日の午後。僕たちは、古びた言葉たちの森の中で、自分たちの立ち位置を確認し合う。
 外の世界がどんなに速く動いても、ここにある匂いだけは、僕たちを過去と未来に繋ぎ止めてくれる錨(いかり)のようだった。