YMO世代の気持ち -ノベル館-

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第33話:祝日の人波と、消えゆく静寂

憲法記念日。街は、ゴールデンウィーク特有の浮ついた賑わいに包まれていた。
 観光地でもないこの下町にさえ、家族連れやカップルが溢れかえり、図書室の静けさを求めて訪れる人は驚くほど少なかった。

 僕は透子(とおこ)と連れ立って、商店街を歩いていた。休日だけ開かれる露店が並び、焼き鳥の煙がまだ涼しい空を曇らせている。
「湊くん、あれ見て。あの古本屋さんの前にワゴン出てるわよ」
 透子が僕の袖を引いて、小さな古書店の軒先を指差した。普段は店主の気難しい顔でお客を遠ざけているあの店が、今日に限っては客寄せのために店頭に格安本を並べている。

「……一冊百円なんて、本の価値を値踏みする残酷な行為じゃないか」
「そういう堅いこと言わないの。ほら、ビニール袋に入った文庫本、三冊で二百円よ。こういうのって、妙な出会いがあるのよ」
 僕が苦笑していると、透子はすでに屈み込んで、日焼けした文庫本の背表紙を丹念に確認していた。

 彼女は一冊の小説を取り出し、表紙をなでた。
「『野火』……大岡昇平ね。湊くん、これ読んだことある?」
「ああ。戦争文学の傑作だ。……こんな祝日に読むには重すぎるかもしれないけれど」
「私、こういう日にこそ読みたいのよ。平和とか自由とかって、『当たり前』になった瞬間に透明になっちゃうじゃない。だから、時々、その『ありがたさ』を思い出させてくれる言葉が必要なの」

 透子はその文庫本を百円玉と引き換えに購入し、僕の手に握らせた。
 彼女の横顔は、休日を楽しむ人波の中にあって、ひどく真剣で、美しかった。

 僕たちは図書室に戻る途中、ふと足を止めた。
 建設予定地のフェンスの向こうに広がる更地。その空虚な土地が、数ヶ月後には高層マンションに変わるという現実が、祝日の喧騒の裏側で、静かに着実に進んでいた。

「……湊くん。私、ちょっと怖いの」
「何が?」
「会社で、再開発のプレゼン資料が回ってきたのよ。『未来への投資』『新しい価値の創造』……そういう美しい言葉の裏側に、この更地みたいに削られてしまった『何か』があるような気がして」

 透子はそれ以上言わず、僕の手を強く握り返した。
 人波は止まらない。祝日の信号は何度も青に変わり、誰もが軽やかに次の場所へと移っていく。
 けれど、僕たちの足元には、誰も気づかない沈黙の地層が、音もなく積み重なり続けていた。