木曜日。連休明けの二日目は、初日よりもずっと質(たち)が悪い。
「昨日一日頑張ったんだから、今日はもういいだろう」という甘えが、全身の筋肉を重くする。
図書室の返却ポストを確認すると、またあのピンク色の付箋が貼られた本があった。今回の本は、夏目漱石の『草枕』だ。
『「智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される」。漱石の時代から、僕たちの苦悩は一ミリも進歩していない。それどころか、今は「普通」という名の、底なし沼に足を取られている。あなたは、自分の思う「普通」を説明できますか?』
付箋の主は、鋭い刃物のように問いを突きつけてくる。
「普通」という言葉は、社会において最も強力な同調圧力だ。普通はこうする、普通ならこう思う。その定義は曖昧なまま、僕たちはそこからはみ出さないように、見えない鎖に繋がれて生きている。
「湊くん。その付箋の人、いっそ図書室の掲示板にでも載せてあげたら? 『今週の問い』とか言って。意外とみんな、こういう理屈っぽいこと考えたいんじゃないの?」
夜、図書室の閉館準備を手伝いながら、透子が冗談めかして言った。
「そんなことをしたら、この人はもう本を返さなくなってしまう気がするんだ。この秘匿性が、彼、あるいは彼女にとっての救いなんだと思うから」
「ふーん。私には、単なる自己満足に見えるけどな。社会のルールの中で戦っている人間からすれば、付箋で愚痴をこぼすなんて、お遊びよ」
彼女の言葉は相変わらず容赦ない。けれど、その日の彼女のデスクの上には、会社から支給された「心の健康チェックシート」が無造作に置かれていた。
『あなたは普通に眠れていますか?』『あなたは普通に食事ができていますか?』。
その項目にチェックを入れながら、彼女は一体どんな思いで「普通」を演じているのだろう。
鎖に繋がれていることに気づいている者と、鎖を自分の体の一部だと思い込んでいる者。
どちらが幸せなのか、僕にはまだ分からない。
僕は付箋の言葉をメモ帳に書き写し、本を棚の定位置に戻した。