金曜日の夜。透子が玄関を開けた時、僕の鼻を突いたのは、彼女が愛用している香水の匂いではなく、どこか焦げ付いたような、乾いた空気の匂いだった。
彼女はカバンを床に落とし、そのままキッチンまで這うようにしてやってきた。
「……湊くん。もう、何も考えたくない。胃も重いし、心も鉛みたいに重い。でも、何かを胃に入れないと、このまま消えてしまいそう」
一週間の無理が、いよいよ彼女の体に「停戦勧告」を出したらしい。
仕事の重圧。連休明けの混乱。そして、自分を偽り続ける疲労。
僕は冷蔵庫から、大根と冷凍しておいたうどんを取り出した。
「今日はね、噛まなくてもいい、自分を許すための料理を作るよ」
大根をたっぷりとすり下ろし、出汁(だし)の中でさっと煮る。そこに冷凍うどんを放り込み、少しのとろみをつけて、最後に生姜(しょうが)を添える。
『みぞれうどん』。
雪解けのようなその一杯は、冷え切った心を温めるための、僕なりの処方箋だ。
「……あったかい。喉を通る時、あの上司の嫌味も、クライアントの無理難題も、全部一緒に流れていくみたい」
彼女は、フーフーと息を吹きかけながら、ゆっくりとうどんを啜(すす)った。
「大根の成分が、消化を助けてくれるんだ。心がつっかえている時は、体から先にほぐしていこう」
「湊くん……ありがとう。私、月曜日になったら、もう一度だけ踏ん張ってみる。でも、もしダメだったら、その時は『普通』じゃない私を、笑わずに受け止めてくれる?」
彼女の瞳に、小さな涙の膜が張っていた。
僕は何も言わず、ただ彼女の背中を、大きな大根の葉を揺らす風のように優しくさすった。
金曜日の夜。一皿のうどんは、どんな励ましの言葉よりも雄弁に、彼女の生存を肯定していた。
湊の金曜レシピ:心と胃を労わる「雪解けみぞれうどん」
ストレスで胃がキリキリする時や、心が重くて食欲がない夜に。
大根おろしの酵素が、溜まった疲れを優しく分解してくれます。
【材料】(1人分)
* 冷凍うどん … 1玉
* 大根 … 4〜5cm(たっぷりおろすのがコツ)
* めんつゆ(3倍濃縮) … 大さじ2
* 水 … 250ml
* 水溶き片栗粉 … 少々
* トッピング … おろし生姜、刻みネギ、あれば梅干し
【作り方】
1. 鍋に水とめんつゆを入れて火にかける。
2. 沸騰したら冷凍うどんを凍ったまま入れ、袋の表示通りに茹でる。
3. 大根をすり下ろす。汁も栄養たっぷりなので、捨てずにそのまま。
4. うどんがほぐれたら、おろした大根(と汁)を全て鍋に入れる。
5. 再び沸騰しかけたら、水溶き片栗粉でほんの少しだけとろみをつける(冷めにくくなり、胃に優しくなります)。
6. 器に盛り、生姜やネギを乗せて完成。
【湊のひと言】
「生姜はたっぷり入れるのがおすすめです。体が芯から温まると、不思議と不安も少しだけ小さくなります。今夜は早く寝てくださいね」