土曜日の図書室は、世界から「効率」というネジが一本抜けたような、独特の緩やかさに満ちている。
窓から差し込む光は、本棚の背表紙を優しく撫で、埃(ほこり)さえもキラキラとした星屑のように見せてくれる。
透子(とおこ)は、図書室の隅にある一番古い革張りの椅子に沈み込み、分厚い詩集を広げていた。けれど、その視線は活字を追っているようには見えない。彼女はただ、紙の感触と、静寂の中に身を浸している。
「……ねえ、湊くん。私、今日、一回もスマホを充電してないの」
彼女が誇らしげに、しかし少し不安そうに言った。
「それは、現代における最高級の贅沢だね」
「でしょ? 通知が来ない、誰からも求められない、数字に追いかけられない。……自分が、ただの肉体と呼吸だけの存在に戻ったみたいで、なんだか体が軽い気がする」
僕たちは、役に立つこと、生産的であることを強要され続けている。
けれど、土曜日くらいは「無用の長物」であってもいいはずだ。ただそこに在り、光を浴び、風を感じる。それだけで十分に、生命としての責務を果たしているのだから。
「湊くんは、この図書室がいつか無くなるって考えたことある?」
彼女が不意に、核心を突くような問いを投げかけてきた。
「……考えたくはないけれど、可能性としてはゼロじゃないと思っているよ。再開発の話は、少しずつ具体性を帯びてきているみたいだし」
「もし無くなったら、私のこの『避難所』はどうなるのよ。湊くん、意地でも守ってよね。私が、私でいられる場所なんだから」
彼女は再び目を閉じ、詩集の間に指を挟んだまま眠りについた。
守りたい場所があるということは、戦う理由があるということだ。
僕は彼女の穏やかな寝息を聴きながら、自分の手のひらを見つめた。
この手で守れるものは、きっとそれほど多くはない。けれど、この静寂だけは、誰にも奪わせたくない。そう強く思った土曜日の午後だった。