水曜日の朝。図書室の入り口に、昨夜まではなかった「落とし物」があった。
それは丸められた一枚のチラシで、再開発計画の華やかな完成予想図の上に、太いマジックで『邪魔をするな』とだけ書かれていた。
説明会での僕の発言は、どうやら一部の住民にとっては、自分たちの利益を脅かす不快なノイズとして響いたらしい。
図書室の窓を拭いていると、通り過ぎる人々の視線が、以前よりも鋭く、あるいは避けるように刺さるのを感じる。匿名性の高い都会の街で、僕は望まない形で「顔のある存在」になってしまったのだ。
「湊くん、そんな顔しないで。目立つっていうのは、それだけ誰かの図星を突いたってことよ」
仕事帰りの透子(とおこ)が、僕の肩を叩いて言った。彼女の目には、戦場から帰還した兵士のような、奇妙な連帯感が宿っていた。
「……目立ちたくて言ったわけじゃないんだ。ただ、あそこに井戸があって、そこに記憶があることを無視して進むのが怖かっただけなんだ」
「恐怖はね、正義よりもずっと強い原動力になるわよ。でも気をつけなさい。今のあなたは、完璧なパズルを台無しにしようとする『最後の一片』に見えているんだから」
彼女はそう言って、僕が拾ったチラシをゴミ箱に投げ入れた。
信号が青になっても、その先に待っているのは祝福だけではない。
正しいと思うことを口にする代償は、静かな孤独として僕の足元に影を落としていた。
けれど、図書室のカウンターの隅には、誰かが置いていった一袋の飴玉があった。
名前も、メッセージもない。けれど、その小さな甘さが、誰かの沈黙の支持であるように思えて、僕はそれをそっとポケットに忍ばせた。