火曜日。雨は止む気配を見せず、図書室の中にも重たい湿気が忍び込んできた。
本たちが、空気中の水分を吸って、いつもより少しだけ厚みを増しているように感じる。古い紙と、湿ったウールのコートが混ざり合った、独特の、どこか寂しい匂い。
午前中、一人の老人がやってきて、一言も発さずに窓際の席に座った。
彼は本を読むわけでもなく、ただ、窓ガラスを伝い落ちる水滴をじっと眺めている。その背中は、世界から切り離された孤島のようで、僕には声をかけることさえ躊躇(ちゅうちょ)された。
雨の日は、孤独の解像度が高くなる。晴れた日には紛れていた寂しさが、雨の音によって、より鮮明に浮き彫りになるからだろうか。
「湊さん。……雨の音って、誰かの囁きみたいに聞こえませんか?」
老人が不意に、僕に向かって声をかけた。
「囁き、ですか。私には、何かを隠そうとしている音のように聞こえます」
「ほう。……私はね、これは『許し』の音だと思っているんですよ。何もかもを水に流して、忘れてもいいと言ってくれているような」
彼はそう言って、少しだけ微笑んだ。
その言葉が、僕の胸の奥にある「守らなければならない」という強迫観念を、優しく解きほぐした。
夜、仕事でミスをしたと落ち込む透子にその話をすると、彼女は意外にも素直に頷いた。
「……許しの音、か。いいわね。私のクライアントの怒声も、全部この雨音でかき消して、なかったことにしてほしいわ」
彼女は温かいお茶を啜(すす)り、窓の外の暗闇を見つめた。
六月の夜は長い。けれど、雨音がすべてを包み込んでくれる間だけは、僕たちは不完全な自分のままで、静かに呼吸を続けることができる。