木曜日。再開発のデベロッパーの担当者が、雨合羽を着て図書室に現れた。
彼の持っている分厚い図面ケースは、雨のせいで少しふやけて、角が丸くなっていた。
「湊さん。文化財調査の件ですが……中間報告が出ました。残念ながら、建物の梁(はり)に価値は認められたものの、保存するほどの希少性はない、との見解です。補強工事をしてまで残すコストを考えれば、やはり解体して記録保存するのが現実的ですよ」
彼の言葉は、雨音に混ざって、どこか無機質な響きを持っていた。
「……記録保存、ですか。それは、ここを壊して写真に撮るだけということですよね」
「そういうことです。記憶はデータとして残ります。住民の皆さんのための新しいビルには、その歴史を紹介するパネルも設置する予定です。それで十分ではありませんか?」
十分なわけがない。
データには匂いがない。階段の軋む音も、窓から差し込む冬の光の温度も、屋根裏で見つけた前の住人の想いも、ハードディスクの中には収まりきらない。
「湊くん。向こうは、私たちが一番弱い『コスト』っていう言葉をぶつけてきたのね」
夜、報告を聞いた透子が、冷めた顔で言った。彼女は今、仕事で「予算削減」という壁にぶつかっているらしい。
「価値を認めることと、それを守ることは別問題だって、彼らは言いたいんだよ。……でもさ、透子。コストに見合わないものを切り捨てていった先に、一体何が残るんだろう」
「……何も残らないわよ。ただ、数字だけが整った、清潔で空っぽな世界が広がるだけ」
透子は、雨粒のついた窓に指で小さな円を描いた。
六月の雨は、僕たちの希望さえもふやかして、形を崩そうとしている。
信号は点滅している。立ち止まるべきか、進むべきか。
僕は濡れた図面を思い出し、その湿った重みを、自分の両手の中に感じていた。