新月の夜、世界から色が消えた。
午後十時。街灯の届かない南倉庫群は、黒いインクをぶちまけたような闇に沈んでいた。
僕と透子は、フェンスの切れ目から敷地内へと滑り込んだ。足元で乾いた砂利がジャリッと音を立てるたび、心臓が喉の奥で跳ねる。
「……姿勢を低くして。あそこの赤外線センサー、生きてるわ」
透子の囁き声は、普段の彼女とは別人のように鋭く、低かった。彼女は黒いパーカーのフードを目深に被り、手元のスマートフォンで警備員の巡回ログを確認しながら、迷いのない足取りで進んでいく。
かつて大企業の最前線で戦っていた彼女のスキルが、こんな形で発揮されるとは皮肉なものだ。彼女という「青の糸」がなければ、僕は入り口で竦み上がっていただろう。
「三号倉庫の裏口、鍵は開いてるはずよ」
言われた通り、重厚な鉄扉のノブを回すと、軋みひとつ立てずにドアが開いた。
誰かが、手入れをしている。
倉庫の中は、外よりもさらに濃い闇と、カビと鉄錆の匂いが充満していた。
広大な空間。その中央に、ポツンと小さな灯りが見えた。
キャンプ用のランタンだ。その淡い光の周りにだけ、埃が舞っているのが見える。
「よく来ましたね。……『水曜日の』管理人さん」
闇の奥から声が響いた。
ボイスチェンジャーを通したような機械的な声ではない。静かで、少しハスキーな、生身の人間の声だった。
ランタンの光が揺らぎ、人影が浮かび上がる。
そこに立っていたのは、作業着姿の小柄な女性だった。
手には、あの見覚えのある付箋の束が握られている。
僕たちは息を呑んだ。
妖怪でも亡霊でもない。ただ、悲しげな目をした一人の人間が、そこにいた。