水曜日。昨夜の光景が、まだ網膜に焼き付いて離れない。
潮里(しおり)と名乗ったその女性は、かつてこの街の都市計画課にいた元職員だった。
定年を前に退職し、今は清掃員としてこの倉庫に出入りしているという。
「これを見てください」
彼女は倉庫の床に広げた古い図面を指差した。ランタンの灯りに照らされたそれは、現在のきれいな都市計画図とはまるで違っていた。
青い線と、赤い線が無数に走っている。
「青は地下水脈。そして赤は……過去に地盤沈下が起きた場所です」
潮里さんの指が、図書室のある場所と、建設予定の高層ビルの場所をなぞる。そこは、赤い線が何重にも重なる「危険地帯」だった。
「デベロッパーも市も、このデータを持っています。でも、彼らは『最新の工法なら問題ない』として、この古い図面を『存在しなかったこと』にした。……私の警告も、シュレッダーにかけられました」
彼女の声は震えていた。
「私は怖かったんです。自分が関わった街が、いつか誰かを飲み込むのが。……でも、声を上げる勇気がなかった。だから、あなたに託したんです。あなたなら、この街の『痛み』を言葉にできると思ったから」
赤の糸。それは、彼女の罪悪感と、街への愛憎が絡まり合った血の色の糸だった。
僕は彼女の震える手を見て、自分の無力さを恥じた。
「潮里さん。……貴方の勇気を、僕は無駄にしません。この図面、預からせてください」
帰り際、透子が潮里さんに言った。
「貴方はもう、一人じゃありません。共犯者は三人になったんですから」
その言葉に、潮里さんは初めて泣きそうな笑顔を見せた。
僕たちが持ち帰ったのは、ただの紙切れではない。
この街の、隠されたカルテだ。