土曜日。立秋を過ぎたというのに、太陽は殺意を隠そうともしない。
外気温は体温を超え、図書室のエアコンは悲鳴を上げながら稼働しているが、築六十年の木造建築の断熱性のなさに完敗していた。
事務室の床には、かつて大手町(ビジネス街)の摩天楼をハイヒールで闊歩していた女が、だらしなく転がっている。
「……無理。もう思考回路がショートしたわ」
透子は額に巨大な保冷剤を乗せ、死体のように天井を見上げていた。その姿は「深窓の令嬢」ならぬ「冷蔵庫の余り物」のようだ。
「集めたデータの整理、まだ半分も終わってないよ」
僕がキーボードを叩く手を止めずに言うと、彼女は保冷剤の下から怨嗟の声を漏らした。
「湊くん、知ってる? 人間の脳は四十度を超えるとタンパク質が変性するのよ。今の私は、ゆで卵になる寸前の白身よ」
「じゃあ、塩でも振ろうか?」
「……座布団一枚。山田くん、持ってきて」
こんな極限状態でも、軽口を叩ける程度には、僕たちはこの異常な日常に順応し始めていた。
窓の外には、今日も例の黒いセダンが止まっている。アイドリングの音が微かに聞こえる。
監視役の彼らも、この炎天下で黒塗りの車内になんて、地獄だろうに。
「ねえ、湊くん」
透子がむくりと起き上がり、保冷剤を首筋に当てた。
「向こうも人間なら、暑さで判断力が鈍ってるはずよ。お盆休み、彼らの警備体制(シフト)にも穴ができるかもしれない」
「穴?」
「ええ。日本人のDNAには『お盆は休む』というプログラムが深く刻まれているもの。……明日からの三連休、少し仕掛けてみない?」
彼女の目が、熱気とは違う種類の光を帯びる。
ゆで卵になりかけだなんて嘘だ。この人の脳みそは、逆境という熱湯の中でのみ、最高のパフォーマンスを発揮するらしい。