火曜日。
お盆休み前の駆け込み需要なのか、あるいは単に涼みに来ているだけなのか、図書室は珍しく満席だった。
カウンターに座りながら、僕は工藤先生の言葉を反芻していた。
『施工記録が必要だ』
それは、敵の本丸にある金庫の中身を盗めと言われているに等しい。
相手はセキュリティ万全の大企業だ。僕たちのような素人が忍び込める隙など、物理的にもネットワーク的にも存在しないだろう。
「……正面突破は自殺行為。ハッキングはスキル不足。内部協力者(潮里さん)は人質状態」
事務室で、透子が指折り数えながら絶望的な状況を確認している。
「八方塞がりね。文字通りの『詰み』よ」
彼女はため息をつき、扇風機に向かって「あー」と声を震わせた。元エリート社員の威厳は、この猛暑で完全に溶けてしまったらしい。
「ねえ、湊くん。巨大な城壁を崩すにはどうすればいいと思う?」
「大砲で撃つ?」
「ブッブー。正解は『内側から腐らせる』か『ネズミを一匹放つ』よ」
透子は起き上がり、鋭い目で窓の外の工事現場を見つめた。
「現場の作業員たちは、一枚岩じゃないはずよ。上からの無理な工期短縮、危険な作業、隠蔽体質……不満という名のガスは充満しているはず。私たちがすべきは、そのガスに引火する『マッチ』を探すことかもね」
その時、返却ポストに本が投函される音がした。
ゴトクリ。
いつもより重たい音。
回収に行くと、そこには一冊の技術専門書があった。貸出履歴はない。
パラパラとめくると、ページの間に、コンビニのレシートの裏に書かれた走り書きが挟まっていた。
『お盆の間、ポンプが止まる時間がある。14日の深夜2時』
震える手で、そのレシートを見つめた。
誰だ? 誰がこれを?
城壁に、小さな小さな、しかし確実な「アリの穴」が開いた瞬間だった。