土曜日。朝が来ても、昨夜の緊張がまだ肌に張り付いている。
昨晩八時、葛西は時間通りに現れた。
彼は図書室の古びた木の椅子に座っても、その高級スーツの折り目ひとつ崩さなかった。
「……単刀直入に言いましょう」
葛西は、例の盗撮写真──僕たちが不法侵入した証拠──をテーブルに置いた。
「この写真を警察と市役所に提出すれば、貴方たちは終わりだ。特に元職員の潮里さんは、退職金はおろか、懲役刑もあり得る」
僕はテーブルの下で拳を握り、アイロンのかかったシャツの襟を正した。
「ええ。その代わり、これが世に出ます」
透子がタブレットを差し出す。画面には、泥水が噴き出すあの映像が一時停止されている。
「これを拡散し、同時に工藤教授の鑑定書をマスコミ各社に送ります。株価の暴落と、ブランドイメージの失墜。……損害額は数十億では済まないでしょうね」
葛西の眉がピクリと動いた。
「共倒れですね」と彼は言った。声は氷のように冷たい。
「貴方がたが自爆覚悟でボタンを押すなら、我々も躊躇なく彼女(潮里)を社会的に抹殺する。……それがお望みですか?」
「望んでいません」
透子が即答する。
「だから『取引』をしましょう。私たちはこの映像を公開しない。貴方は潮里さんに手を出さない。……現状維持(ステイ)です」
長い沈黙があった。エアコンの音だけが響く。
葛西は数秒間、計算機のように僕たちを値踏みし、やがてフッと自嘲気味に笑った。
「……いいでしょう。泥仕合は私の美学に反する。一時休戦といきましょう」
彼は写真を懐にしまった。
「ただし、忘れないでいただきたい。貴方たちは常に『爆弾』を抱えて生きることになる。そのストレスに、いつまで耐えられるかな?」
彼は立ち上がり、優雅に一礼して去っていった。
勝負は引き分け。いや、首の皮一枚で繋がっただけだ。
僕たちは、互いの喉元にナイフを突きつけたまま、動けなくなってしまった。
「解決」ではなく「膠着」。それは、終わりのない地獄の始まりでもあった。