土曜日。八月最後の週末。
図書室の掲示板と、商店街の協力店の店先に、透子がデザインしたポスターが貼り出された。
派手な色使いはない。セピア色の写真──かつてこの地にあった沼地で遊ぶ子供たちの姿──を背景に、ただ一言だけコピーが添えられている。
『覚えていますか。この街が、水と遊んでいた頃を』
「反対」とも「危険」とも書いていない。
しかし、そのポスターの前で足を止める人は多かった。
買い物帰りの主婦が、散歩中の老人が、じっとその写真に見入っている。
「……うまい手ね」
商店街の会長さんが、ポスターを見ながら唸った。
「『工事反対』って書かれると、俺たち商売人は立場上、応援しづらいんだよ。でも、『昔を思い出そう』って言われりゃあ、誰だって頷ける。これなら堂々と貼っておけるよ」
透子の狙い通りだった。
政治的なスローガンを排除することで、かえって多くの人の心に入り込む隙間を作ったのだ。
これは「扇動」ではない。「共振」だ。
街の人々の心に眠る「愛着」という弦を、静かに弾いている。
「湊くん、見て」
透子が窓の外を指差した。
ポスターの前で、若いカップルがスマホを取り出し、QRコード(展示会の詳細ページ)を読み込んでいる。
「へえ、ここ昔はこんなんだったんだ」「なんかエモいね」
若い世代には「エモさ」として、古い世代には「郷愁」として。
僕たちのメッセージは、ウイルスのようには爆発しないけれど、地下水のようにじわりと浸透し始めている。